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プライドが高い子供とどう接するか ー 自尊心を育てる関わりかた

身近に”プライドが高い”と感じる子供はいるでしょうか。それは親戚、職業上で関わりのある子供、またはご自身のお子さんでしょうか。

プライドの高い子供だなあと感じる相手に対してどう接してあげればいいか、これは難しい問題かもしれません。子供の心を傷つけないよう認めてあげたいのですが、何でも容認して良いのか。もっと付け上がって、難しい大人になるのではないだろうか。

また子供に合わせて付き合っていると、こちらが持たないことも出てくるかもしれません。

では、「プライドが高い」というのは根本的にどういったものか、またそう思われる子供との接し方に答えはあるのか、そのヒントを探っていきましょう。


どんなときに”プライドが高い子供”と感じる?

”プライド”とは、「自尊心」や「誇り」と定義されています。『あの人はプライドが高い』とか『あなたってプライドがないわね』など、人をネガティブに表現するときに使われがちですね。

「プライドが高い子供」というと、どんな子を想像するでしょうか。

ポジティブに捉えるならば、

  • 自分の意見を曲げず思ったことはハッキリ言える
  • 芯がしっかりしている
  • 自分の価値を理解している、愛されている自覚がある

など、自分を客観的に観ることができるしっかりした子と表現できるでしょう。

しかし扱いや接し方が難しいと感じる場合、

  • わがままで柔軟性に欠ける
  • 協調性が薄い
  • 間違いを認めない

など、我が強いイメージが根付いているかもしれません。

あまり自分を出さない子供も、考えていることが読めず苦労するかもしれません。しかし対照的に、個性のハッキリとした、自我を表に出して主張できるタイプの子と付き合っていくときにも、難しい場面があることでしょう。

プライドの高い子供の心理は?いつ頃プライドが芽生えるか

プライドというと日本ではイメージが良くない意味で使われがちですので、まず”自尊心”に置き換えてみましょう。この自尊心が芽生えてくるのはいつ頃なのでしょうか。

自我が表面化してくるのは2歳頃〜で、これ以降どんどん自己主張がなされていきます。同時に、自尊心も育っていきます。4歳頃になると、同じ年齢層の子供と自分を比べたり、大人に自分のほうに注目して欲しいという感情も出てきます。

例えば、お友達は褒められたのに、自分はたまたま見てもらえず褒めてもらえなかったりすると、怒ったり拗ねたりすることがあります。自分も”相応の評価を受けたい”と望むようになるのです。

そして褒められるべきことを何もしていないのに褒められたいとか、逆に何かやらかしてしまったのを自覚しているのに認めず謝らないといったことが観察されることがあります。このとき、大人からしてみると”プライドが高い”と評される場合があります。

このような行動の裏には、「自分を見て!」「認めて!」といった感情が隠れているのではないでしょうか。これが自尊心・プライドに繋がってきます。

子供のプライドが高い―プライドを持つのは悪いことか

プライドが高いと感じる子供と接するときに悩むのはどういった点でしょうか。

  • これ以上ワガママな子供に育って欲しくはないが、押さえ込むとますます反発する
  • 子供のプライドを尊重して全てを容認してあげていたら、自信過剰で付け上がるのではないか
  • プライドの高いまま成長すれば、この先降りかかる様々な挫折を乗り越えられないのではないか
  • 協調性が育たず、他人に疎まれる人になるのではないか

など、これからの成長において形成されるその子の性格を心配するかもしれません。

一見するとわがままな行動の多い「プライドの高い子供」。良くも悪くも、これらの行いに共通するのは「自分の価値を認めて欲しい・または自分で確認したい」「評価されたい」という心の表れではないでしょうか。

このような感情は子供のみならず誰しも持っているものであり、正常な感情です。この”自尊心”が満たされれば、人の心にはゆとりや余裕が生まれます。

逆に自尊心を傷つけられ続けるならどうでしょうか。自分の価値を認識できず、自信が持てなかったり自分で自分を大切にしない、プライドを持たない人格になってしまうかもしれません。

プライドを尊重しすぎると付け上がる?厳しく接さないといけない?

自己主張の強すぎる子供には、厳しく接さなければ調子に乗ってしまうものなのでしょうか。

肝に銘じておきたいのは、”認めてあげること”と”甘やかすこと”は全く違うと言うことです。具体的にどう違うでしょう。

”甘やかす”というと、保護者の方から「今回だけよ」と言っては何度も決まりごとを逸脱したり、筋が通っていない子供の主張を容認したりすることが含まれるでしょう。つまるところ、結果的には全く子供のためになっていない優しさのことです。実際、これは優しさでも何でもありません。

子供可愛さ、または反発されることへの恐れや面倒臭さなどでその場しのぎの対応を繰り返すならば、子供は勘違いしてしまい、所謂「プライドの高い子供」になりかねないのです。

だからといって、子供が間違いを犯したとき、それを頭ごなしに訂正するのは良いことでしょうか。”厳しさ”のなかには「愛」も含まれていなくてはなりません。

どのように、「愛のある厳しさ」を表すことができるでしょうか。

”愛のある厳しさ”は、まず子供を認めてあげることから

”認めてあげる”というのは、”甘やかす”ことと対照的な接し方と言えます。

決め付けず、子供の話によく耳を傾け、主張の核心を理解しようと努めてあげましょう。子供の主張が、保護者として「正さなければならない」と思ったときはどうすべきですか。一度子供の意見を理解したことを伝えたうえで、正しい方向に導いてあげることが大切と言えます。

子供が何か間違ったことに対し、バッサリと”間違っている”と言うのは簡単なことです。問題があるたびに、子供が何故そうしたのか、そう思ったのかを聞いて、まずは同調してあげることでワンクッション置いてみましょう。それだけで理解者であると感じさせ、安心して話をしてくれるようになります。実際に話を聞いてみると、「そんな事情があったのか」と思わされることも少なくないのです。

筋が通っていなくてもやりたいと思うこと、自分の主張のせいで人に優しくできない場面は、大人でもあることです。幼い子供でも、実は「今のは自分が理不尽だったな」と判っているものです。そうしたかった気持ちを汲み取ってあげた上で、「今回だけよ」は無しにして、自分で正しい決定をするよう導いてあげることが出来れば良いですね。これが、愛のある厳しさではないでしょうか。

きちんと話せば、間違っていても理解を示してもらえるんだという”経験”が、子供の自尊心を尊重しつつも、素直な成長を促す助けになると思います。

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