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生命の奇跡!子供を産んだ時の神秘的な気持ちと感動

2016.8.10


37歳/美容師

私は、現役美容師20年の、男児二児の母でもあります。私には、小学校の頃から、夢が2つありました。それは美容師になる事と、お母さんになる事でした。

これだけは絶対に、私の人生で必ず成し遂げたい夢であり、憧れに似た気持ちでした。

夢が叶ってスタイリストとしての充実

その夢が、叶ったのは、22歳で、まずは、美容師免許を取りました。スタイリストとして、たくさんのお客様に指名していただき、毎日充実した日々を過ごしていました。

もちろん、仕事は、不規則で、立ち仕事で、ご飯も、食べられない時もあります。そんな生活をずっとしていて、私は子宮内膜症になりました。

お医者さんには、妊娠しにくい体ですとその時に告げられました。目の前が真っ暗でした。私は、子供が産めない体なのか?と、毎日不安になり精神科にもかかりました。

そんなことがあっても毎日の忙しさの中で、次第にその事は頭の中から薄れていきました。それから2年が経ち、結婚の話が出て私ももちろん彼が大切だったし、何より彼の子供が欲しいと強く思っていました。

だけど、このまま体の事を黙っている事は、もし子供が出来なかった時に後から後悔だけはして欲しくなかったので、事実を話ました。

そして、子供がもし生まれなくても2人で生きていくと決めました。

結婚して半年が過ぎた頃、生理が遅れていたのが気になっていましたが、それまでに2回想像妊娠していたので、今回もそうじゃないかと内心期待せずに検査薬を使うと反応がありました。

次の日に病院で検査してもらったら「おめでたですよ」と、先生に言われて、一瞬あまりに淡々と言われたので、その言葉を頭で理解するのが遅れたけど気持ちはスカイツリーより高く飛んでいました。

しかも、その日はクリスマスイブだったのです。これは、神様からの贈り物だと思い、私たちは近くの遊園地へ行き、とても幸せなクリスマスを過ごしました。

ついに待ちに待った出産の日を迎えた

それから、10か月色んな事があったけど、ついにその日がやって来ました。私はつわりがなく、何の異常もなく10か月まで美容師をしていたので、予定日の2週間前に産休に入りました。

そして、近くの実家に帰って1週間目にみんなで焼き肉を食べました。旦那もその日は実家に来て、一緒に晩御飯を食べて10時頃にマンションに帰り、私はその日から母と2人で寝る事になりました。

2人で色んな話をしていて横になっていたら、急にお腹が張ったような気がしてキリキリとした痛みがありましたが、その日私は1人で2キロの焼き肉を食べていて、きっと食べ過ぎだと思い、しばらく痛みに耐えていました。

ですがやはり間隔がある痛みがあるので母に、「なんか、痛いんやけど」と言ったら、まだまだそんなもんじゃないと言われ、そうだなと思いもうしばらく我慢していたら、また、張ったような気がしてきました。

今度は五分間隔に痛みがあるので、母にもう一度その事を告げたら、念のためトイレに行けと言われ、ゆっくりと起き上がりトイレに行ってみると、なんとおしるしがありました。

そこからは母と祖母が、病院の夜間救急に連絡。「すぐに来てください」と言われ、母に運転してもらい病院に行き、途中で旦那に連絡して病院に来てもらいました。

車に乗ってすぐ強烈な痛みに変わって、激痛が五分間隔で襲ってきて、私は我慢できず泣きました。

病院に着いて歩く事が出来ず、車椅子で産婦人科に連れて行ってもらい、陣痛室でお腹に赤ちゃんの心音を調べる機械をつけられ、ベッドで横になった頃には痛みが10分15分になり、間隔がどんどん開き始めてしまい、うまく陣痛がつきませんでした。

それから、病院で15時間ほど時々来る痛みと戦いながら、ご飯もほとんど食べられず腰が砕けそうに痛くて母と祖母と旦那にも交代でずっと腰を押してもらって耐えていました。

やっと間隔が短くなって20時間たち、やっと分娩室に移動する事になったのですが、もう歩く力もなく看護師さんに支えてもらいながらやっと分娩台に乗る事が出来て、「もうすぐだから」とお医者さんに言われました。

「1時間もすれば生まれる」と言う言葉に安心して、タイミングを見計らっていきみ続けたのですが、なかなか出て来てくれませんでした。

ついに分娩室に入って4時間が経ったので、先生も少し慌てた様子で赤ちゃんの心音を確認したり破水していなかったので、破水をさせる事になりました。

そこからは記憶が遠のく中で、助産師さんがずっとお腹を押していて、その痛みもありついに先生に切って欲しいと伝えたのですが、アッサリと先生は「頑張って下から生みましょう」と、言うのです。

鬼だと思いました。でも、もう私の体力も赤ちゃんの体力も限界で、私は苛立ちとその日病院の近くで地元の花火大会があって、ちょうど花火のクライマックスが9時で外がとてもうるさかったのも重なって最後の力を振り絞って9時2分に赤ちゃんが生まれました。

が、赤ちゃんは、産声を上げていませんでした。急に看護師さんや、小児科の先生までがやって来て、赤ちゃんに管を通し始めました。

私は、体力の限界だったはずなのに、赤ちゃんが生きているのか?確かめようと、必死で叫びました。そしてやっと、ふぇーっ、と言う、とてもか細い小さな声で、赤ちゃんが泣くことができました。

生まれてすぐ、真紫で真っ青だった赤ちゃんがピンク色になり、私は、その姿を遠くから見て涙が溢れました。

でも、赤ちゃんはすぐに保育器に入れられ、「念のため一晩様子を見ます」と小児科の先生に言われてまた不安になりました。

ですが私は出血多量だったために、輸血と体力回復の点滴を両方の腕に刺されていたので動く事が出来ず、旦那が赤ちゃんを抱っこして私の目の前まで来てくれたのを一瞬だけ見ただけでした。

でも、その顔にはしっかりと血が通い、手や口を動かせている姿が見えて涙がまた溢れました。子供が出来ないかもと言われて5年後の出産でした。

自分が産んだ子供を見て涙が止まらず

これまでの私の人生や、家族・友達や先生すべてに感謝し、涙は止まりませんでした。奇跡とはこういうことだと知り、人が生まれるとは奇跡だと思いました。

母が分娩室に入って来て、私に向かって「よく頑張ったね」と言って泣いてくれました。母が私の事で泣いたのは、始めてだったのかもしれません。

そして、初めて母親を尊敬しました。こんな事をして産んでもらったのだと感謝しました。その日、花火があったその日一生忘れられない日になりました。

 - 出産時の体験談