苦しみの2ヶ月間!切迫早産で入院して毎日点滴をした結果
22歳/パート妊娠が発覚して、すぐに家事も出来ない程に悪阻がひどく、勤めていた職場に相談したところ正社員なのに、産休、育休を断られてしまい退職をせざるをおえなくなりました。退職してから安定期(悪阻が治まるまで)は、家でおとなしくしていたのですが悪阻が治まると、家でぼーっとしている事にも飽きてきてパートに出ることにしました。
パート勤務の帰り道で腹痛に襲われ
家計のために、往復30分の道のりを歩いていくことにしたのですがパート勤務をしだして2ヶ月目(妊娠7ヶ月後半)帰り道歩いていると、何とも言えない腹痛に襲われ座り込んでしまいました。
(張り切って歩きすぎたのかな…ちょっとはっちゃったかな…>)と思いつつ様子を見てみたものの、痛みは増すばかり。なんとか、実家の母に電話して助けに来てもらいました。
何とも言えない痛みに耐え切れず、産婦人科で救急で見てもらうことになりました。内診や、エコー、NSTなどの検査をしてもらうと8ヶ月を待たずして陣痛が始まっているとのことでした。
すぐさま、陣痛を止めるウテメリンを注射してもらいそのまま出産になっても対応できる大きな病院へ救急搬送されました。
切迫早産と診断されて緊急入院
その病院でも内診をしてもらうと子宮口は2cmまで開いていましたがでも、だいぶ腹痛もおさまり陣痛も遠のいていきました。「切迫早産」と診断された私はそのまま緊急入院となりました。
そこからの2ヶ月間はほんとに辛かったです。病気をしたわけでもないのに、総合病院の残念な病院食。(毎日、母がマッ○や、お寿司を差し入れしてくれました笑)
囚人かのように、5:30には起こされ、6:30にはご飯。家族だろうが、旦那だろうが関係なく20:00には面会終了。と、いったような時間に管理された毎日。
もちろん個人の産婦人科のように泊まるなんて出来ません。(ちなみに、子どもが産まれてからも禁止でした。)
最も最悪なのは毎日24時間流れ続ける、点滴のウテメリン。(まさに天敵…)
毎日針を差し替えた腕は注射器の跡だらけ
これが、強い薬なんだそうですがすぐに血管を壊してしまうのか、私は同じ血管を2日以上は使えなかったので毎日針の差し替えをした結果、腕が注射器の跡だらけでした。
寝ているときも繋がれたままなので、安易に寝返りを打つと点滴ポンプから警報が鳴る始末でした。ほんとに睡眠不足になりそうでした。
そんなこんなで結局出産は予定日を2週間超えてしまい陣痛促進剤出産になりました。笑
私が苦しんだ2ヶ月の苦労は何処へいってしまったのでしょうか。笑
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